一山超えて・・・
昨日伯母が入院している病院を訪れる前に
実家に立ち寄り一緒にお昼を食べてきた
勿論自分の分は持参した
梅おにぎり2つと焼き魚の赤魚を父と半分ずつ食べた

家を出る時「たまには電話をよこせよ」と父が言った
ボケたか親父・・・
昨日も電話をしたし三日に1度は立ち寄っているのに・・・
「父さんこそたまには電話をよこしたら?」
と言い返して病院へ向かった

母さん、私たちは相変らず仲が良いんだか悪いんだか(笑)

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亡くなった母さんは三姉妹の真ん中で弟が一人いる

母と同じ病院に入所していた長女が今年1月に亡くなり4ヵ月後母が亡くなり
もう私にとっておじちゃん・おばちゃんと呼べる人は一人ずつになってしまった

たった一人になった伯母も相次いだ姉妹の他界で精神的に参ったのだろう
母が亡くなってから夏場、体調がずっと優れなかった
この間偶然行なった検査で腹部に大動脈瘤があるのが分かった

手術を受ける受けないで伯母の家族内はもめた

今年85歳、高齢なのだから万が一手術の合併症で
余生不自由な体で生きるのは可哀相だと心配する意見

手術を受け悪い所を取り除き今同様健康で余生を過して欲しいと願う意見 
賛否両論だった

伯母も従姉たちも目に涙を浮かべ自分の考えを述べていた
姉妹で意見は違っても根底はどちらも我が母親の体と
これからの生活を平穏にと願う共通の思いがあるから
どちらの意見にも賛同する点があり本当に難しい選択だったと思う
私は偶然にもこの日、伯母の家族会議に同席していたが羨ましいと思った

母の場合既に自身に判断能力がなかったし
度々問われる治療処置も即答で決めることが多く
過去3回の入退院後の生活も家族内で話し合いを持つ事もなく
常に私の一存で決めてきた 
だからきっと不適切な考えや判断があったのかもしれない
もう過ぎた事だけれどその点はごめんよ、母さん

伯母の手術はその時の家族会議で受けずに経過観察に決まったが
結局伯母の次女の強い説得で手術を受け余生を少しでも快適に過す方を選んだ
確かにそう決心したが見舞いに行く度伯母は今でも迷いがあると言う

Hおばちゃんのその迷いはきっと手術の当日まで続くのだろうな
私もその日の朝、このまま病院を逃げ出したい気持ちに駆られた
6年経った今でもあの時の気持ちは鮮明に思い出す
パジャマのままでも良い ここから逃げ出そう・・・そう思った
弱いのは自分だけじゃない 迷うのも自分だけじゃない

同病相哀れむとは少し違うが人は我が身に降りかかると弱者になる
それが自然なのだから・・・

昨日伯母は術前の最後の検査、心臓カテーテル検査を受けた
手首の末梢動脈に局部麻酔をして細い管を入れ造影剤により冠動脈内や
血管病変の有無、左心室内に異常がないか調べるためだ
検査が無事済むまで心配で伯母の息子さんと一緒にラウンジで待機していた

何年前だったろう? 義母も狭心症だか心筋梗塞だか・・・
何しろ数え切れない入院と病歴があるので家族でさえもう覚えていないが・・・
伯母と同じこの検査を受け合併症で血圧低下に陥り意識不明になった事があった
一時は危篤に陥ったがやっぱり義母の生命力が勝った

合併症は1.000人に一人だと言うが正に義母がその一人になったわけで
同じ事が伯母に起こったら・・・と気が気ではなかった
だから検査を無事終え病室に戻って元気な姿を見た時
Hおばちゃんは一山超えたんだ・・・と思った(*^_^*)

軽く1本のウーロン茶を飲み干した伯母を見て
これなら本番の手術も大丈夫!そう信じられるようになった

もういらないという伯母にペットボトルをもう2本追加して
造影剤を体から全部出さないとダメだよ!と病室を出た(*≧m≦*)

もう一言いわせて貰うと
地方の専門医の医者不足がこの地にも深刻な問題になっている
伯母の手術はこの病院では受ける事が出来ず離れた松本市で行なわれる予定だ
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by r-petal | 2007-09-15 07:19
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