文化講座参加
チベット声楽家、バイマーヤンジンさんの講演が今日あるのを昨日の夕方知った
主催は母の眠る菩提寺の住職 後援は茶道表千家と大手デパート

バイマーヤンジンさんのHP

彼女を知っていたわけではない 
たまたま偶然に今月8日母の菩提寺で新盆諸霊供養、
大施食会(だいせじきえ)法要があり
その通知が父の元に届いた

大施食会とは有縁無縁を問わず十方三世の一切の精霊に供養する法要で
今年新盆を迎える家々が菩提寺に集まり合同で供養してもらう
その際盆の棚経の受付も行なわれるが
父は大施食会で済ませ棚経の申し込みはしないようだ

宗派の違いで例えば浄土真宗の教えでは亡くなった人は皆
阿弥陀如来の功徳により極楽浄土に往生していると考えるので
先祖の御霊が帰ってくるといった考え方はしないようだから精霊棚も盆もないが・・・

父の菩提寺は曹洞宗
住職を招いて棚経をあげるのが一般的だろうし新盆だからと言う気持ちもある

母がJ病院に入所してから母のキーパーソンは私になった
意識を失ってからも治療方針その他、医療関係や行政関係も一切私が行なってきた
でももう母はこの世には居ない
魂や気持ちはいつも一緒に居ると思っていても確実に母は無形であって
母が存命ならともかく特に金銭が絡む事にもう私から強く父には言えなくなった

確かに大施食会で合同で供養してもらえるのなら
改めてお布施を納めて棚経を・・・と思う父の気持ちうなずける
日々父の暮らしを見ると度重なるお布施も負担だろう

果たして如何なものかと・・・菩提寺のHPにお邪魔したら
バイマーヤンジンさんの講演があるのを知ったわけ
(*≧m≦*) 随分話が逸れたけれど

以前の私だったら絶対に一人でこんな行動はしないが
菩提寺のHPを開いたのは母に導かれたのではないかと後から思った
そして彼女の講演に行こうと思ったのは演題に惹かれたからだ【大切な家族の絆】

講演を聞いた後に母さんの墓参りもして来よう! 
線香等墓参りセットを持って9時に家を出た

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駐車場には既に結構車が止まっていてびっくりした
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講演会場は本堂左の洗心閣の大広間
娘達が小さい時1度だけ入ったことがあるが
仏教大学の教場や葬儀会場として使われている部屋だった

2階は坐禅堂や写経道場を備えているらしいから機会があったらやってみたい

母の仏壇を購入した時に開眼供養に来てくれた坊様が居たので挨拶をすると
「抹茶と菓子が用意してあるのでどうぞ」と言ってくれた
講演時間は2時間に渡るので喉を湿らせて行こう
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後援に当たっているボランティアのお年寄り達が羊羹と抹茶を用意してくれた
茶道の講師かな?着物姿の婦人も何人か居た
私も着物で来れば良かったなぁ~~と思った(*≧m≦*)

講演前に住職が登場して話をした・・・
この住職は母の葬儀の時にご導師様を務めてくれたが
その時と全然違ってユーモアたっぷり(当たり前か)早くも会場から笑いが起こった

続いて民族衣装に身を包んだバイマーヤンジンさんが登場
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結婚を機に日本に住み始めて12年らしいが大阪住まいなので口調も笑える
私は漫才などを聞いても全然面白くないが彼女の語りには笑えた
そして時々目頭が熱くなる時もあった

全てにおいてチベットと日本では生活、特に食べ物に違いがあり過ぎる
チベットでは人が亡くなると川に流す方法と
鳥(鷹)に死者の体を全て食べさせるそうだ 後者の方が一般的だそうだが
だから魚や鳥を食べる行為は理解出来なかったらしい おぞましい行為
それが元で夫の両親とは上手く生活が出来なかったらしい

一方チベットでは牛の頭を長時間煮てそのまま食卓に出し食べるのがご馳走
肉量に比べて2つしかない目玉は大変貴重な食材で手で抉り出し食べるらしい
彼女にとって普通でも夫には理解出来ないおぞましい行為だ
それらを笑いを交えて語っていたが
一番大事なのは自分が変わる事を伝えたいのだと思った

そして日本の風習を辛口に批判もした
チベットには一人暮らしの年寄りは存在しないそうだ
何故息子が見るべきと決め付けるのか 何故娘ではいけないのか
チベットでは男女を問わず子供と一緒に暮らすらしい

これもお国柄で彼女の国の様には出来ないだろうが
私の姿で夫も我が父を大事にしてくれるようになるだろう
先ず私が変わらなきゃ!そう感じた

介護は母で終わったわけではない
次への始まりだと思っている
それを苦と考えたら自分自身が辛くなる
確かに楽しい事じゃないけれど
母と一緒に居た時私は介護員さんたちと貴重な出会いや経験があった
知らない世界を沢山触れることが出来た

父や義父母を世話する時もきっと自分にプラスの事が起こるはず
それには先ず自分が変わらなきゃ
私も母の様に孤独で不幸な人生じゃなかったと娘達に思ってもらえたらな

講演の後 彼女は歌を3曲歌った
1曲目はチベット語だった
2曲は日本語で里の秋とふるさと 母の顔が浮かんで来て恋しくて涙が出た

四十九日の供養の時は工事中だった墓への参道が綺麗に修復されていた
真新しい石道を渡って母の墓参りをしてきた
気が付いたらふるさとを口ずさんでいた
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by r-petal | 2007-08-01 17:37
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