涅槃へ そしてカロートペンダント
母が静かに息を引き取ってから今日で23日目
追悼法要も三七日(みなぬか・さんしちにち)が過ぎた
毎日母の病院通いをしていた私は今、本当に父ひとりきりになった実家通いになった
娘達も一緒に付いて来て父にひ孫を抱かせている

葬儀の時、母の遺骨は父さんが家で供養する遺骨と
姉さん、私そして二人の娘がそれぞれの家で供養する小さな骨壷4つに分けられた
4つの小さな骨壷は
四十九日の法要が行なわれる7月1日の納骨時に一緒に墓へ納められる
それまでの短い間、私は時間を気にせず母さんと一緒に過しいている

母さんは今 家に居たり姉さんの側にいたり私や孫達の所に出掛けたり大忙しだ
元気な頃 我が母はよく外出した 泊まりで出掛けることもよくあった
考えてみたらその頃から私はもう父の面倒も強制的にさせられていたんだ(笑)
母さんは今、涅槃へ旅立つ前にあちこち出掛けるのを満喫しているのだろう
昔の様に・・・・

母の死を機に私は遺族の精神的な背景と社会的背景を考えるようになった
葬儀とは 埋葬とは そして供養とは・・・

人は死して遺骨は墓地への埋葬 
それが今は散骨や樹木葬と自然葬が社会的に認められつつある

少子化・父の様に跡取りのない親
みよしおばあちゃんの様に身寄りのない人などの社会背景
従来のお墓制度には対応出来ない人も更に増えるだろう 
都会では住宅問題もある 仏壇を置かぬ人も増えているという
現実に私もこの先直面してくる話だ 

娘達に檀家などの金銭的負担もさせたくない思いもある
実家の墓・我が家の墓等、跡取りがない家にとって墓とは本当に必要なのだろうか

そんな社会的背景の中で私は手元供養と言う言葉に惹かれつつある 
精神的背景からの供養方法
喪失感もある、そして故人の生きた証を残したいと言う気持ちが強くなって来た

母のほんの少しの骨の粉は今私の胸元のペンダントの中にある
カロートペンダント 母さんはいつも私と一緒だ
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母の画像や記録を整理していた時 最後に過した日の記録があった
勿論病室を出た後の記録はない
その不足した時間を追加してブログに残しておこうと思った
母さんが一生懸命生きた105日目の大事な証だ
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昏睡状態 経管栄養中止32日目 3階療養病棟56日目 発症から105日目

5月21日(月曜日)個室306号室6日目
母さん、冬音と翔悟そしてその付き添い母親たち4人が
午後無事退院したとメールが来たよ

次女と冬音は住宅に帰って行くけれど
長女はもう少し我が家で養生していくらしいよ

歯医者の帰りにちょっとストアに寄ったの 
目に付いたのはベビー服、翔悟と冬音の退院祝いにお揃いの洋服を買っちゃった…
母さん、驚かないでよ、私が孫の服を買ってあげたのはこれが初めて!
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今まで随分孫に無関心なおばあちゃんだったね(笑)
でもこれは母さんのせいだ 私は孫より母さんに気持ちが傾いていたのだからね

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9時、自宅を出て翔たちのかかりつけの動物病院に寄ってフィラリアの予防を買ってきた 
今年はこの辺では6月~11月の6ヶ月間で良いようだ 
小型犬だから2匹いても大型犬1匹分で済む
狂犬病注射もワクチンも体重別の金額だとありがたいのだけど…

今度は私のかかりつけの歯科医に回った
右上の奥歯の歯茎に違和感を持ったのは1ヶ月前、母さんが痙攣を起こした日だった 
うがい薬、消毒薬そして塗り薬、
挙句の果ては夫の耳鼻科の残っていた炎症止めの処方箋や
鎮痛剤を飲んで何とか忍んできたけれど、一昨日から悪化 

今朝は顔面の腫れと頭痛も加わってもう限界になってきた
M歯科医との付き合いは9年前から
母さんが初めて脳梗塞を発症した入院中にやはり同じ症状になったのがきっかけ
母さんもここで保険外の立派な入れ歯を作ってもらった
私はその後も半年に1度の検診を受け続けてきたが
昨年次女の突然の妊娠と結婚、母がS病院からJ病院に転院
二人の娘たちの出産などが重なってつい検診をサボってしまった
 
予約なしで診察を受けられる病院ではないのは承知していたけれど
今までの関係を頼った 
案の定、受付では診察は無理だと言われたが
私の担当だった衛生士が40分後の空き時間なら処置してくれると言ってくれた 
助かった! 
ただ待っているだけでは時間がもったいないので母さんの病院に戻った 
父さんが新聞を読んでいて私の顔を見て驚いた声を発した
「あれ、今日は早いじゃないか」 
父さんこそいつもより長時間居るじゃない…ってな会話

母さんは酸素マスクを外されていた 
父さんにその事を言うと本当だとビックリしていた
それほど真剣には母さんの顔など見ていないのだろうと思った 

様子を聞く為ナースステーションに行った 
看護師はマスクをしていてもサチュレーションは変わらないので
母さんが楽なように外したらしい 
確かにマスクがなくても呼吸は出来ていたが昨日より弱い気がする 
それに顔色も土色だった 
困ったのは尿量
夕べの8時以降今日早朝の5時、10時のおむつ替えにパットは濡れていない
利尿剤を使うか今検討中らしい
でも母さんは3時の時には絶対に出ると私は予感した 

30分なんてあっという間だ 病院を出て再び歯科に回った
ずっと異常なかった歯肉ポケットが一気に広がってしまったようだ 
消毒して膿を出してもらった

嬉しい事に処置してくれたのは衛生士ではなく医師だった 
薬を注入し抗生剤と鎮痛剤をもらってきた 
次回の予約は1週間後…キャンセルがあり得るので事情を話した

「疲れとストレスですよ」とM医師 今時ストレスのない人はいない、
私が体のコントロールが出来なかったからだ…
疲れは確かに溜まっているだろう…私も生身だから
三種の薬よ!頼むから効いて! でないと私の歯根の一つが取られてしまう!
鎮痛剤だけ直ぐ飲んだ 
病院を出て気分転換にストアに回った 
久しぶりに店内を見て回って目に付いたのがベビー服、
翔悟と冬音、性別に関係なく着られそうな蜂柄のつなぎを2着購入、
そして来月早々21歳になる次女の誕生日のプレゼントを買った 
序におにぎりを買って駐車場の車の中で食べて薬を飲んだ 
さて雑用は済んだ 母さんの病院へ 父さんはもういなかった

血圧は84/44 低めだがずっと安定している 
それに顔色も午前中よりやや明るくなったが顔は冷たい 
そんな状況下でも体の洗浄は行なうのだ、驚いた

看護師二人が体を拭いて私は保湿剤を塗った 
体は骨皮だけれど両足がそれほどでもないのは低タンパク症の表れだろう 
3ヶ月以上寝たきりでもそれほど床ずれはなく皮膚の状態が良いのは嬉しい 
母さんは綺麗なままでいて欲しい ずっとそう願ってきた

心配した排尿は少しだったけれどあった 予感的中だ
母さんは便が少し出ていたが看護師は記録書きにHとだけ記入していった 
まぁ細かい事は良いやと思ったが
毛布の上に自分たちが使用した使い捨て手袋を置いて行った 
これはいただけない、特に便を処理した後だけに緊張感に欠ける行為だ 
どうも私は介護員に甘く、看護師には手厳しい人間のようだ

4時50分 母さんの呼吸は静かな時と
しっかりしている時と交互に行われる感じだった

看護師が血圧は70に下がったけれどしっかり呼吸していますよと言った
母さん 午後翔悟と冬音が無事退院したよ
一緒に居たいけれど長女が家で待っているんだ 
今夜は翔悟の退院祝いをしてあげたいから帰るけど 
明日から母さんの様子で病院に泊まるからね 今夜だけだからね
5時10分病室を出た

自宅で今日の母の様子を長女に話しながら夕食準備を始めた時だった 
電話が鳴った 
帰り際に血圧を測ってくれたあの看護師だった「血圧が40に下がりました」

私より夫の方が早く病院に着きそうだ 先ず電話をして車に乗った
走行しながら姉に電話を入れた 父さんへの伝言も頼んだ
十数年前、追突事に合ってからスピードを出すのが怖かったが70キロで病院に向かった

駐車場に着くと夫が居た「早く病室に行け!」 
車のキーを手渡す余裕もなくその場に投げ捨てて下足のまま3階まで駆け上がった 

その足音が聞こえたのだろう、内側からFさんが重い扉を開けてくれた
『Fさん、間に合った??』『間に合ったよね!!』私は二度聞いた 
Fさんは二度首を振った

母さん・・・
母さんはほんの1時間半前、自力で呼吸をしていた・・・

父さんがいた、K医師が居た 婦長も居た 後は誰が居たか覚えていない 
夫が着いた時には既に息を引き取った後らしい
外に出て私が車を止められるスペースを確保していてくれたのだ

母さんどうして?
しがみついて泣いた 大声で泣いた
『ベッドの角度を上げても良いですか?』医師に許可を得た

母さんは105日間30度以上、半身を上げてはいない 
痛いだろうか?でも私は90度近く上げた
母さんの左手を私の右肩に乗せ思いっきり抱いた 
ずっとずっとこうして抱きしめてあげたかったのを今まで我慢してきた 
もう誰にも遠慮をする必要はない 誰も制止しない
『母さん、長い間頑張ったね お疲れ様 やっとお家に帰れるね』

医師が検死 18:36 

従姉夫婦が見舞いに来てくれた時 
既に医師が母さんの心臓マッサージをいている時だったらしい
家族の誰もその時に間に合わなかった

姉さんが到着した 時は待ってはくれない 体の洗浄が始まった
看護師と姉そして私 3人で体を拭いた 母さんは最後の排便をしていた
綺麗に拭き取り新しいおむつをあてがいその上に下着を履かせた
『母さん、久しぶりのパンツだね 去年の8月30日以来だよ』

細長い綿帯が肛門・耳・鼻そして口の中に割り箸で入れられた
伯母が生前愛用していた紬の着物を姉さんと一緒に着せた
死化粧も姉さんと二人で済ませた

床に母さんの最後のおむつが置かれていた 
一つにまとめて新聞紙で包み洗面所のポリバケツに納めた時
Fさんの言った達成感の意味が分かった 
母と約束したおむつ替えを最後まで成し遂げられた

『母さん、私はもう人前で号泣はしないよ 
最後の時を母さんと一緒に過し母さんの世話をさせてもらえて本当に幸せだった』

「YUKIさん、どんなに尽くしても悔いは残るの 
でも達成感がその悔いを減らしてくれるよ」以前介護員長Fさんが言った通りだった

二階玄関で医師と看護師、介護員たちが見送ってくれた 
夫が代表で礼の言葉を述べ私と母さんは霊柩車に乗った 

父とピースが待つあの家に母さんは9ヶ月ぶりに帰れた
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by r-petal | 2007-06-12 08:42 | Comments(6)
Commented by べーちゃん at 2007-06-12 09:15 x
YUKIさん、お疲れ様でした。
お母様は喜んでいらっしゃいますね。

お母様のご冥福をお祈りいたします・・・。
Commented by バウ at 2007-06-12 23:14 x

YUKIちゃん
わたしも母様にありがとうと言わせて

そして、あなたに。
遠い地から思いっきりハグ
Commented by 犬好きかあさん at 2007-06-13 15:59 x
YUKIさん長い月日献身的に介護なさってきて偉かったですね!
内容が重みのある分 お孫さんたちと翔くん&迅くんの画像はホッと
しますね!? 我が家も跡取りが居ないので 今ある墓地の墓守が
将来どうなるのか分かりません。
Commented by YUKI at 2007-07-05 07:57 x
【べーちゃん】
コメントレスが随分遅れてごめんね
ブログ読んでくれていたんだね ありがとう
メソメソしていても母さんは喜ばないだろうから
また新しい気持ちで再スタートします

>お母様のご冥福をお祈りいたします
ありがとうべーちゃん
Commented by YUKI at 2007-07-05 08:00 x
【バウさん】
コメントレスが随分遅れてごめんね

何時も応援ありがとう 沢山のアドバイスをありがとう
バウさんのお陰で母さんの皮膚は私より綺麗な状態で旅立てたよ
遅くなったけれど私からも思いっきりハグ!!!
Commented by YUKI at 2007-07-05 08:07 x
【犬好きかあさん】
レスが遅くなってすみませんでした
母の菩提寺でも放置状態の墓がいくつかあり住職も永代供養墓や
「檀家制度」から「会員制度」へ移行していくことも検討中らしいです

日・月と出掛けます その報告でまたブログを復帰しますので
よろしくお願いします
これからはホッとするような内容や画像のブログに出来たらな~~と
思っておりまする(*≧m≦*)
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