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ガラスの状態
昨日の昼近くルンルン気分で次女と孫が我が家に来た
テーブルに着きしばし時を過すと玄関のチャイムが鳴った
娘は「来た!」と微笑んで玄関へ 自作アルバムが再配達されてきた

居間に戻ってきた娘の手には二つの配達物を抱えている
発送元は欧文印刷株式会社とあった 嘘!もう届いたの?!?
三日前に印刷オーダーした私の本も同時に届いた
前回は二週間もかかったのに印刷会社も暇だったのか?(笑)
「同時に届くなんて母さんと私ってやっぱり一番通じてるのよね」と次女
長女が聞いたら怒りそうだけど。。。通じているかもね

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経管栄養27日目 3階療養病棟23日目 昏迷状態72日目 
4月18日(水曜日) 

1:30pm 雨降りのせいか部屋が薄暗い 明かりを付けた
椅子の上に新しいシーツと防水シートなど置かれていた シーツ交換日だ

看護師が立ち寄ってくれ「午前中男の人が居ましたよ 
多分お父さんかな?」と言った
禿げていた人なら私の父ですと言ったら笑っていた

母さんは寝ていた 呼びかけにも目を明けない 
小刻みに動かしていた右手も停止している 
余り静かに寝ているから脈を取ってみたら相変わらず不整脈の脈拍だった

シーツ交換を待つ間に手足の洗浄から始めたが
右手のシャツが上がったままの状態だった・・・
血圧測定をした際そのままの状態で行ってしまったのだろう
もう~!二の腕は浮腫みがあるから
ちょっとしたしわでもそこが食い込んで跡が付いちゃうのに!! 
ブツブツ言いながらシャツを伸ばした

廊下で「歌会に行きますよ」と介護員たちが車椅子でお年寄りを移動させていた
元気なお年よりはA棟から殆ど居なくなった
そっか、今日はカナリヤの会の歌会か・・・
どおりでいつもと院内雰囲気が違うわけだ
去年の秋、母さんと参加したけれどもう誰も誘ってくれないね 

看護師二人が母さんのシーツとタオルの交換に来てくれた
別にひいきするわけじゃないけれど看護師より介護員の方が上手だな~と思った
別にケチを付けるわけじゃないけれど看護師が去ったのを確認してから
防水シートとタオルのしわを手直しした(笑)

お掃除担当だったKさんが部屋に入って来た
「Fさんにお誘いを受けて今度介護員の助手みたいな仕事をしているの 
不慣れだけれど宜しくお願いします」と言った 
昔、母さんの病室を掃除する度「けさよさん」と挨拶してくれていた 
Kさんはその顔だけで人を和ませる人柄だと思う
Fさんもそんな点を認めて介護員の仕事をお願いしたのだろう 

『Kさんは適役だと思いますよ 腰・・・大事にしてくださいね』
おむつ袋を日に何度も運ぶだけでも重労働だ

おっと私もおむつ替えだ 排尿のみ、母さんはやっと目を明けた
『終わったよ どう?短時間で出来るようになったでしょ』母さんは目を細めた
衣装ケースの上のティッシュ箱がなくなっていた 
うっかりしていたけれど終わったのかもしれない 
予備がなかったので車に取りに行って戻ったら母さんは寝ていた

叔父夫婦が見舞いに来てくれた 
何時もなら威勢の良いFおばさんの声で目を明けるのに今日は眠ったまま、
「こんな日もあるさ」と叔父が言った

「今日は大根の煮物があるのよ」
Fおばさんはこうやって何かしらの煮物を作って
私の居る時間帯に母さんに会いに来てくれる ありがたいな 

4:05pm 様子を見に来た看護師が記録書きを見て夕食に下剤を入れると言った
『未だ便秘も2日目だし、いきなり10滴は多くない?』
「だよね 8滴で様子を見ようか」
親しい看護師だったのでつい本音を言った 
ドロドロ状態だとおむつ替えも大変なのだ 
母さんはこの会話が聞こえたのかパッチリ目を明けた 
眠っている間に人の事を勝手に決めるなって感じかな 
ごめんよと謝っておいた

夕方になって母さんは左手を休みなく動かす 
これは痙攣とは違う感じだけれど何がしたいのだろう? 
姉さんが夜来た時左手がベッドの柵に挟まっていたと言っていたが
この動きはその時と同じかもしれない 
怪我でもしたら可哀相だから柵の所に毛布をあてがってこの事を看護師に伝えた

夕食間際、Fさんが様子を見に来てくれた
「今日一日過して何か気が付いた事や困った事があった?
YUKIさんはガラスの様な状態で心配なの」
Fさんは母の様子だけではなく私の様子も心配してくれている

母さん、私は彼女の協力がなければ他の病院関係者からただ口やかましくて
手出しし過ぎる疎ましい存在だと思われていたかもしれない 
その気持ちは私が居ないとき母さんに向けられていたかもしれない 
Fさんは病院側と家族がどう協力し合うか教えてくれた人だ 
私が何か疑問をぶつける度「介護員としてではなく娘の立場で言わせてもらうとね・・・」
この言葉で一緒に考えてくれた

古巣に戻ってきてからFさんはプライベートな話もするようになった
今日初めてお父さんが亡くなった時の状況を話してくれた 
私と同じ様に毎日世話してきたのにたった1日
病院から遠い会場で友達の結婚式に参列していて父親の死に間に合わなかったと言う 

周りからは自分の最後の姿を娘に見せたくなかった父親の愛情だと言われたそうだが
Fさんは自分を責め、その気持ちが癒えるまで長い時が必要だったと言った

私と似てはいるが大きな違いがある 
私は母さんが意識を失う前の二日間も母さんに会いに行かなかった
行けなかったのではなく行かなかった Fさんとは大違いだ 

もしあのまま2階病棟で母さんが逝ってしまったら
自分を責め続けてFさんが言うガラスの様に粉々になっていたかもしれない・・・
が、今は違う 
ガラスの状態だった私は医療病棟を出てここに戻った時点で終わった

意思表示が出来た母の時はその気持ちに答える様に接してきたが
今の母さんは何をして欲しいか私自身で考えろと言っている気がする 
ここに入所して5ヶ月間YUKIは見てきたはずだと母は思っているだろう 

母さんの望みには順位はなく
側に居て肌を触れながら話しかけ
介護員にされるのが大嫌いだったおむつ替えをする事だ 
なんら以前と変わりはない

母さん、私は今の母さんも大好きだよ
 
by r-petal | 2007-04-19 08:42
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