二人称の死
1月25日(木)
25日夕方叔母が永眠した 享年93歳(年が明けたから94歳になるのだろうか?)
文字通り天から享けた年数、天寿を全うしたと思う
最期を従姉と看取らせてもらって叔母には感謝で一杯だ
眠るように。。。とはよく聞くが本当に、ともすると見過ごしてしまうほどあっけなく
それほど静かに息を引き取った

1月26日(金)
翌26日の夜、枕経、その他の儀式が行なわれたが
その日の昼過ぎ長女と孫が退院し自宅に戻って来ていたので
昼時従姉の家を訪れ、一足早く叔母にお別れを済ませてきた
綺麗に死に化粧された叔母の顔は穏やかで若返っていた
生前、病室から出る時はいつも叔母のおでこを撫ぜていたがこれも最後
おばちゃん。。。長い間お疲れ様でした

その足で母の病院に回った
介護員やお洗濯担当の人たちがお悔みの挨拶をしてくれた
叔母の入所していたD棟に目をやる。。。寂しさが募った

母さんは叔母の死には余り動揺はなかった
数分後には叔母の事を忘れてしまっていた これで良いんだ
私もいつも通りに母の世話をして自宅に戻った

叔母の枕経が済む頃、和歌山へ出張していた夫が戻って来たのでバス停に迎えに行った
我が家では二人の孫を囲んで夕食が始まった
冬音(ねね)と翔悟(とうご)二人が暫く共にするベッドを覗くと思わず笑みになる
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長女は退院して来てから精神的に楽になったのか食欲もあり。。。ん?
あり過ぎて返って心配したほどだ(笑)
不安な事は一足先に母親になった次女に質問攻めしていた(* ̄m ̄)
微笑ましい光景だ

1月27日(土)
27日火葬場に夫と直接向かったが霊柩車は未だ到着していなかったので
従姉の家に向かった 叔母の出棺に間に合った

1月28日(日)
28日セレモニーセンターで葬儀・告別式が行なわれた
葬儀の間、叔母とどんな関わりがあったのか考えさせられた

幼い頃叔母と関わった思い出は幾つかある
小5年の時、何故か初めて眼科に連れて行ってもらったのは母ではなく叔母だった

お正月になると今だに娘達と遊ぶ人生ゲーム これも叔母が買ってくれた物だ
従姉の娘とよく遊んでくれた礼だと買ってくれた記憶があるが当時高価なゲームだった

貸家の頃、家には風呂がなかったからよく叔母の家に入りに行ったものだ
風呂上りに時代劇の銭形平次をよく観た記憶がある

中学生になって貸家暮らしから父が家を建て
その地を離れてから叔母と会う機会が余りなくなった
正直母が叔母と同じ病院に入所になる前は二度しか叔母の見舞いに行っていない
叔母からしたら薄情な姪だった 

一時途切れた糸も縁があったのだろう
母が叔母の居た病院に入所になってからは毎日の様に会っていた
勿論私が姪とは覚えていない
『Tさ~ん』と呼びかけると「は~い」と答えてくれた
叔母にとって私はいち介護員かマッサージ師だったが
私にしたらたった数ヶ月間でも母の次に身近な存在だった

もしかしたら母もあの病院で一生を終えるかもしれない
事実時々あの病室を間借りしていると思っている時がある
部屋こそ違ったが叔母と母は同じ病院の住民だった
短い間だったが叔母の訪問も私にとって生活の一役だった

人は人生において3種類の死と向き合うとある哲学者が言った
☆故人と何らかの関わりを持っているが生活を共にするような関係でない人の死
それを三人称の死

☆故人が人生の一部となり自身と分かちがたく結びついた人の死
それを二人称の死

☆第三は自分自身の死、一人称の死

叔母の最後を看取れた時、私にとって叔母の死は二人称の死と感じた
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by r-petal | 2007-01-30 16:50
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