「お母さん、ありがとう」
早朝友達の舅が亡くなったと連絡が来た
母と同じ脳梗塞 在宅介護中3度目の発作で寝たきり状態になったのは今年の夏
丁度母が腎盂腎炎で入院した時、彼女の舅も同じ病院に入院していた
その後経管栄養法の処置(胃のチューブから食事を取る方法)を受け
状態が落ち着いて療養型の病院に転院になってまだ間もない
肺炎からの呼吸困難そしてこの世を去った 
葬儀はまだ未定らしいが参列しようと思う
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12月7日(木)
母がJ病院に入所になって記念の日になった
初めての一時帰宅、
所は父と住んでいた家ではないが母も毎週の様に我が家に来ていた
母にとっては第二の自宅の様なものだ

朝一でゴボウ・ニンジン・カボチャと切り干し大根
他にヒジキ・シイタケ・エノキ・こんにゃくなどの繊維質の食材を圧力鍋で煮た
鍋の圧力が下がるのを待って煮汁と固形物を分け
フードプロセッサーでペースト状にした
具沢山のお味噌汁作りの下準備、これに鮪を煮て同じくみじん切りにした
これで味噌汁の具が完成

日が昇るのを待って母の洗濯物を干した
渡し板を玄関に設置 車椅子をその中間地に止めておいた

ここで時間になったので病院へ 
階段が何時もより多く感じるのは逸る気持ちのせいだろうか
9:10amに母の病室到着
午前中なのにいつも通りに威勢よく私を迎えてくれた
『母さん 今日は私の家にお出掛けだよ』「迎えに来てくれたのかい?」そうそう
病院を出る前にトイレに連れて行こうと布団をめくったら。。。。
パジャマから見事に便の漏れがにじみ出ていた
昨日心配した通り二日続きのラキソ薬が効き始めて4日分の便が出始めていた

病室を出て介護員を探した 丁度Iさんがやって来る
『母がコートなんです』排便状態の時この病院ではこう表現する
専門用語の方が母を傷付けることがない。。と思う

急いでIさんともう1人の介護員が入ってきて車椅子の上に新聞紙を敷いて
Iさんが母の上半身、もう1人が足を持って手際よく車椅子上に乗せた さすがだ
「お風呂に連れて行った方が処理が早いから」母は昨日に引き続き入浴となった

1階の風呂場まで母と同伴 入浴が済むまで病室で待つことにした
戻る途中、エレベータ前で叔母に会った 今日はD棟の入浴日
『おばちゃん、気持ちよくお風呂に入っておいでね』叔母はにっこり笑ってた

母の病室に戻るとベッド上にはオムツカバーとシートが広げた状態で用意されていた
コップなどを洗っていると父が来たので状況を説明して一緒に待った

母がパジャマ姿で戻ってきてベッド上で最終支度がなされた
入浴後はタオルとシートのみを下に敷いて病室に戻り
ここでオムツを当てられる事を初めて知った
「出発前で良かったね」とFさん
本当にその通りだ 我が家でこの状態になったら手が付けられない
翔や迅が大騒ぎするだろう
母さんありがとう 本当にありがとうだ
でもこの思いがけない入浴で母の一日の体力は随分消費されてしまったろう

パジャマの上にベスト、更にフード付きのコートを着せた
下半身はパジャマの上にレッグウォーマ、そしてズボンを履かせた
ひざ掛けを2枚使用、ナースステーションに行き外出許可書をもらって玄関へ
父が見守る中1人で母を車の座席に乗せて病院を後にした 後から父が付いてくる
第一関門突破。。。そんな気持ちだった

『母さんやっと我が家に来れる日が来たね この日をずっと待っていたんだ』
「YUKI。。。ありがとう」母は涙声になった 

道中私はバスガイド(* ̄m ̄) 右手に見える建物は昔住んでいた所で~す 
「随分様子が変わったね~」
暫くすると清水坂に差し掛かりま~す 「清水坂か。。懐かしいね~~」と、こんな調子
母はよく喋った

不思議なもので国道から小道に左折すると「この道 この道」と母が言った
ピースも翔&迅もこの道に入ると騒ぎ出す 母も昔と全く同じ事を言った
何が目印になっているのだろう? 記憶にしっかり残っている 我が家は近い

玄関ギリギリに車を停めてドアを開ける 車椅子をポーチに移動
母を支えて二段の階段を登り車椅子に移動 第二関門突破!
後は簡単、父の渡り板は見事に役目を果たし難なくホールに到着!!

母の到着直後、暫くは翔&迅の熱烈歓迎 
壊されない様母のメガネを一時外した
父はそんな様子を見てそわそわし始めた
父さん。。。早く帰りたい態度バレバレだよ(* ̄m ̄)

父は長女&次女が昼に来るのを楽しみにしている
「何もないから困ったな」と言いながら顔は笑っている

「母さん、じいじと一緒にお昼を食べるんだ」
事前に娘達からこの話を聞いた時、涙が出るほど嬉しかった
私が出来ない事を娘達が補ってくれている 感謝だ

父が帰った後、母の世話を翔&迅に任せて、ん?逆か?(笑)
途中でストップしていた昼食準備に取り掛かった
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退屈しないように次女の挙式DVDを見せたが参列記憶はなかった
同時に姉に母が無事到着したメールを入れると
仕事中なのに直ぐに電話がかかってきた
駆けつけたくてもそう出来ない姉の気持ち十分かる
母は浦島太郎の気持ちを姉に伝えていた
主食のご飯は五平餅 母が大好きなメニュー
「YUKIが作ったの?」と姉 まさか~~そんな時間はないよ 爆))))))

なるべく院内メニューに近い食事を用意した 
おかずの殆どは細かくカット状態を習って
おしたしの野菜:小松菜とモヤシもみじん切り、玉子は温泉玉子にした
味噌汁は父に習って今朝準備した具沢山、消化し易いようにペースト状態にした 
魚一品の鮪も細切れにして味噌汁へ 汁と言うより結構な一品
これだけでお腹が一杯になりそうだ
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翔&迅が下で狙っているので全て私が食事介助したが
母はこれらを45分かかって殆ど全部食べた 勿論母と同じ調理法の物を私も食べた
少々固めの五平餅を箸で切っていると母は既に大口を開けて待っていた 爆))))

2:00には母の腰も座っている事に限界になった様子 
丁度オムツ替えもしたかったのでソファーに寝かした
シートはしっかり重い お陰様で便は病院以来一切出ていない 助かった
「ちょっと休むよ」と母 ウトウトし始めたので洗濯物を取り入れて側でたたむ
母の昼寝を邪魔するのは翔&迅 
2ワンを叱ると母が私を叱る「怒っちゃだめだ」って
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娘達が帰ってきたので結局母は我が家で熟睡する事は出来なかった
次女のお腹を見て初めて見たように驚く母 長女のお腹を見て更に驚く母
私が孫の誕生を今一ピンと来ないように母もひ孫の誕生がピンと来ないようだ

時刻は早くも3:00pm 外出許可時間を過ぎてしまった 早!
お茶代わり牛乳を飲ませて帰宅準備
「帰るって何処に帰るんだ?」と母 あやふやに『I市だよ』と言うと
「I市の何処だ?」と突っ込まれる。。。困ったな 迷ったが『J病院だよ』と言うと
「そうか そうか」とすんなり納得された 父の家の名は出て来なかった
一番心配した帰宅の事は案ずるより。。。で解決された 第三関門も無事突破
第四関門の玄関のポーチから車に乗せる事も何とか無事終了して娘達に見送られて病院へ
帰路、来る時と違って母は無言だった 車内から車外を凝視していた
疲れているはずなのに寝なかった

病院の駐車場から院内車椅子で病室へ無事到着 最後の第五関門も終わった
3階 エレベーターの扉が開いた時偶然にも介護員FさんとIさんが居た
「お帰りなさい~~顔に楽しかったよって書いてあるよ」と言われ微笑む母

ベッドに寝かせると腰を痛がる、最近はこんな事が多くなった
最後のオムツチェック ちょっとの排尿あり、今日1日の様子を記録書きに記入しておいた
『母さん車椅子を返してくるよ』ウトウトし始めた母に言葉をかけると
「お母さん、ありがとう」と母が私に言った 
私が一度も会うことなくして他界した祖母の事だろうか
以前私は母の妹と言われた事があったが母には妹はいない、これは完全に勘違い
そして今日は母の母親 凄い昇進した気分

認知症の母が言う事を一々真に受けても無駄な事だと承知している
でもその母の言葉で一喜一憂しても良いじゃないか 特に嬉しい言葉なら尚更だ
いつか機会があったら我が娘達に伝えたい気持ちに駆られた
【もしね 母さんがばあばの様に認知症になった時、
あなた達の名を間違ってばあばの名前で呼んだとしたら幸せに思いなさいよ】と
我が母は元気な時から常々私に言っていた言葉がある
「私は母親が大好きで、一番大事な人だった」って
その母親と思ってくれたのなら私は一番の幸せ者だ

病室を出てFさんに母の状態を報告した
『疲れてもしかしたら夕食を食べないかも。。。』
「大丈夫よ ちゃんと取っておくから 疲れたでしょ?」
『ハイ。。。でもお陰さまで楽しかったです』 
忘れてしまうだろうけど母さんもそうだった事を願った
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by r-petal | 2006-12-08 08:28
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